この前『17歳のカルテ』を観た。


境界性人格障害の特徴があまりに当てはまりすぎて不安になったけど、
若い女性に多いというように大多数の人がそれらしい特徴があって
わたしはきっとその中のひとりだ。
つまりわたしが病気と思えば病気だろうし、
ただの誰にでもある憂鬱だと思えばただの憂鬱だということ。


そういう中途半端な場所にいる人間が病気だと
思い込むことのメリットは病気のせいにして
向き合わないでいいことが増えること。
居心地のいい場所だけを求めることは、
自分を成長させてくれる可能性がある居心地の悪い場所に
行くというチャンスを逃すこと。
自分を成長させる何かは居心地のいい場所にも隠れているかもしれない。
でもそれは自分をすでに認めていてくれる人間に
さらに認められることで、
果たしてそれは公平なジャッジなのか?
盲目だったり贔屓目は1ミリも入ってないと言える?


逆に病気でないと考える人は長い時間続くと
逃げ場がなくなって苦しい思いをする。
ただ乗り越えた場合は糧になるし、
乗り越えられなくても努力が何かに繋がることがある。


精神的な病気に対して批判的なわけではなくて、
世の中そうならざるを得ないこともたくさんあるよね。
理不尽なことが続けば狂ったりする。
大きな悲しみでおかしくなっちゃうこともある。
人の痛みを自分の尺度ではかることはしてはならない。
比べてもいけない。
だから人生でよくあること(失恋、人間関係の悩み、受験失敗)程度で
精神病になるなとは言わない。
本人にとってそれが人生のすべてかもしれない。
何に重きを置くかは自由だ。
病んでるなら病んでてもいいけどすぐ病気のせいにする人はきらいよって話。